Web版の発行はしばらく休止します

「兵庫民報」編集部は2012年11月から専任1人で続けてきましたが、その1人も2020年末で退職し、2021年1月からは嘱託となりました。編集業務の整理のため、「兵庫民報Web版」はしばらく休止いたします。それにともないTwitterへの転送も休止します。 紙版の通常号のご購読をお願いします。

2011年6月12日日曜日

東日本大震災救援バザー(18日)におこしください

日本共産党女性後援会と実行委員会

「兵庫の地から被災地へ物心両面の支援を」と、安武ひろ子・藤木洋子・大沢たつみ元国会議員をはじめとするよびかけによる実行委員会と日本共産党兵庫県女性後援会が六月十八日、神戸市兵庫区新開地の党県委員会事務所を会場に開く「東日本大震災救援バザー」が迫っています。

物品は十五日まで収集していますが、すでに、オーブントースター、ブランドスポーツシューズ、ミシン(新品)、ミキサー、かばん、播州織生地、焼酎、そうめん、ぬいぐるみなどが続々と寄せられています。

当日は十時開場。新開地商店街に面した一階に「バザー会場」が設けられます。掘り出し物が期待されます。

また、三階は「展示・交流の場」となり、安武さんの絵画展示、手作り小物や被災地からの野菜などの販売が行われます。軽食・コーヒーも販売します。

実行委員会は男女を問わず多数の参加・購入をと呼びかけています。

○6月18日(土)10~16時 党県委員会事務所(神戸市兵庫区新開地3丁目)



写真:バザー当日を待つ物品の一部

(2011年6月12日付「兵庫民報」掲載)

「第2次提言」もち、学生や大学教員を訪問


日本共産党兵庫県委員会

「第二次提言」など渡し学生と対話

日本共産党兵庫県委員会青年学生委員会は、青年学生ボランティアツアー報告冊子とあわせて、被災地支援の二次提言、「『科学の目』で原発災害を考える」(不破哲三)パンフレットをもって神戸大学の学生サークルや教員を訪問しました。

神戸大学学生震災救援隊では、震災ボランティアのようすを伝えながら、第二次提言やパンフを渡し、「日本共産党ととして復興に向けた政策や、原発問題の考えを書いています」と紹介すると、「原発問題は、関心も高いですからね。見させてもらいます」と受け取ってくれました。

阪神・淡路大震災のときに学生が一人亡くなった自由劇場(演劇部)では、「以前、ボランティアに参加したいという方もいたので、その報告をもってきました」というと、「こんなところまでわざわざありがとうございます」とこたえてくれました。原発パンフと二次提言を渡し、「こちらもぜひ目をとおしてください」と話すと、「わかりました。読ませてもらいます」と応じました。


(2011年6月12日付「兵庫民報」掲載)

東日本大震災ボランティアオルグ・レポート

日本共産党兵庫県委員会 浜本信義

私は、中央委員会が呼びかけた、「被災地の党組織に対して、自治体ごとに分担して、救援・復興のための全国的な救援ボランティア」の派遣にあたって、土台を支える活動として五月十六日から、福島県のいわき市の地で活動をしているまっただなかです。
土台ばかりが残る津波の傷跡
党いわき・双葉地区委員会は、原発事故を起こした東京電力福島第一原子力発電所のある大熊町を始め、七十キロ圏内にすっぽり入る九市町村をかかえています。

今でも余震が一日に五回、六回とあり、寝ていても飛び起きるほどですが、現地へ来てのほんとうの驚きは、ニュースで見る以上にケタ外れの津波の被害の大きさと原発事故による放射線量のことです。

津波は、堤防を打ち砕き海岸から五キロ、十キロ内陸まで何もない更地が続くという壊滅的な光景をつくるほどの破壊力です。

また、テレビやラジオのニュースの中で放射線測量値と風向き報道が天気予報と同じように流れ、住宅の窓が閉め切られ、洗濯物は外では見ないことや公園で子どもたちの笑い声もなく、外出を極力ひかえて人通りも少ないなど、当たり前だった日常生活の光景がなくなっています。

地震と津波のうえに、原発事故が市民の中に重くのしかかっています。

生活相談やボランティアへの要望強まる

こういう中でも、住民は復興に向かって動き出し、生活相談やボランティアの要望も強まっています。

がれき撤去に取り組むボランティア
滋賀県のボランティア八人が、「取り壊し希望」と張り紙した家が目立つ四倉地域で、取り壊さず生活再建をめざしているお宅の津波に洗われた敷地内の海砂撤去と家の中の清掃作業や、呉服屋の蔵からの商品運びだしや町内の側溝の泥あげも行いました。

「たった一人で片づけると気が滅入ります。こうやって共産党のみなさんが来てくれて、生きていく気力が生まれます」「ここで住めるようになった」「他の党はまねができませんね」と口々に感謝の言葉が返ってきます。

小名浜地域では、先日、同地区で初めての訪問活動が、神戸市議団のボランティアによって行われました。「はじめて胸の内を聞いてくれた。どこに相談していいかわからなった」「ありがたい。いままで誰も来てくれなかった。初めて訪問してきてくれて、話をよく聞いてくれたのは共産党の人だけです」「子育て世代は子どものことが心配でたまらない。小学校の運動会は二時間だけにした」「夏以降になると風向きが変わるので放射線が怖い」「この辺の地域は一カ月水道が止まったまま、高齢者の所は水くみが大変やった」「親子でアワビ取の漁師で生活をしていたが、全然仕事が出来ない。息子はアルバイトに行っている」とせきを切ったように訴えがありました。

「困っている人を助ける」という「立党の精神」を発揮しながら、瓦礫や土砂の撤去、避難所での炊き出し、生活相談、地域訪問活動など、ボランティアの取り組みが引続き求められます。支援物資も、夏物の下着類やシーツ、タオルケットなどが求められています。

原発事故では風評被害も加わり甚大な被害に

原発事故によって双葉郡内のすべての住民は県内各地や県外で避難生活が強いられています。非難区域外でも漁業がまったく出来ず、汚染を心配しながらの農作業となり、製造業でも放射能検査をしないと出荷できず、観光業も客がまったく来ないなど、風評被害も広がり、被害は甚大です。

また、子どもを持つ親からも「子どもには放射能被害を少なくさせたい。計測器配置の増設、校庭の表面の土を除去してほしい」「学校給食では当面地元食材を使わないでほしい」「小さい子どもが外で遊べないでいる。子どもたちのストレスがたまって、メンタルのことが心配」と声が寄せられ、事故の収束の展望が見えてこない中、「いつ帰ることができるのか」「これからの生活はどうなるのか」など、まったく生活の展望がない不安を持ちながらの暮らしとなっています。

「商売もできない。三十キロ圏内と外では補償に違いがある。不満だ」「原発問題で東電は正確な情報を出さない。小さい頃に広島の原爆資料館を見たことがあり、原発建設が始まった時には、危険が伴うものだと強く思っていたが、本当に恐ろしい事態になった」「原発問題は早く終息させないと根本的には解決しない。政府、東電の発表が遅く、記者会見のテレビを見ていても聞いていても将来の展望がしめされない。どうでもいい気持になる」と怒りを込めて語られています。

復興への展望求め、新しい政治への探求の始まり

「震災前は住みやすい最高の街と誇りを持っていたが、最低の街になった。これからの福島はどうあるべきか、国の展望ある方向を示していくことが大事だ」「共産党の震災問題と原発問題の解決方向に共感します」との声もあります。

日本共産党の「第二次提言」と「原発ゼロ・全面賠償署名」を持って地域に入ればどこでも対話が弾みます。被災者・国民の中に新しい政治の探求が始まっていることを肌身で実感しています。

住民の思いをしっかりと聞き取り、行政に届け、市民に返す取り組みもし、想像を絶する苦難に立ち向かっている現地の日本共産党員・組織のみなさんの、お役に立てるよう、引き続き頑張ります。

(2011年6月12日付「兵庫民報」掲載)

「『科学の目』で原発災害を考える」かえるネット兵庫が普及

シール投票での対話
「日本共産党と一緒に日本をかえるネットワーク兵庫」は、この間、神戸大や関西学院大で、原発署名や「『科学の目』で原発災害を考える」パンフレット(不破哲三日本共産党社会科学研究所長)の販売などを行いました。

「どう思う?原発事故?」とシール投票をよびかけると、次々とシールをはってくれました。「現状維持」にはった神戸大学理学部物理学科の一年生は、「自分の専門になるので、やっぱり活かしたいと思って」と話しました。メンバーが不破さんのパンフレットを紹介しながら、「原発は、まだ未完成で危険な技術。廃棄物の処理も確立していない。アメリカいいなりに、財界・大企業が利潤第一で推進してきた。だけど危険性を考えるとまだ使える段階にないというのが率直なところじゃないかな?」「学問として引き続き研究する必要は、おおいにあると思う」と話すと、「確かにそうですね。パンフ読んでみたいですね」と持って帰りました。

関学では、原発署名が十三人から集まりました。シール投票で、「原発から撤退し、自然エネルギーなど代替エネルギーへの本格的な転換を」にはった神学部三年生は、「テレビなどでは、原発を擁護するような発言ばかり。テレビはあまり見ないようにしている。調べてみると潜在的自然エネルギーは、原発に匹敵するエネルギー供給量も出せるんでしょ」と話すので、「ぼくらもそう思っているんだ。ドイツでは、二〇二二年には、百%自然エネルギーにしようとしている。やればできると思う」と対話がかみあい署名に応じてくれ、「企画を知らせてほしい」と連絡先を教えてくれました。

取り組んだメンバーは、「学生の中で、原発問題で真剣な模索がひろがり、どんどん対話になる。不破パンフも普及していきたい」などと交流もし、引き続き大学門前などでとりくむことにしています。

(2011年6月12日付「兵庫民報」掲載)

日本科学者会議兵庫支部が震災・原発問題でフォーラム

福島原発事故から学ぶべき問題点を
話す中川和道神戸大学教授
日本科学者会議兵庫支部が11年度大会記念フォーラム「大災害と原発事故を問う」を6月4日、六甲道勤労市民センターでひらきました。同会議は、人類の生存と平和のための科学を探求する、分野をこえた科学者の共同組織です。フォーラムには研究者や市民ら約40人が参加しました。

2人の研究者が報告しました。物理学が専門の中川和道神戸大学教授は「福島原発事故を読み解く」と題し、経過と現状、原子炉の仕組み、放射線の人体の影響などについて語りました。

中川教授は、事故から80日経った時点でも大気中への放出がつづき、東北関東で放射線を観測している事態を重視。政府発表をもとにした「健康に影響はない」などの報道について「データがないから安全ではなく、データがないから判らないと言うべき。低レベル放射線の人体への影響は未解明」と指摘しました。また「放射線の許容量は絶対安全量ではない、がまん限度量にすぎない」と強調しました。

社会学専攻の岩崎信彦神戸大学名誉教授は「大災害と経済危機」のテーマで講演しました。岩崎教授は「阪神でも東日本でも、震災はいつも高齢者、弱者にしわ寄せがいく。自然との共生、経済復興ではなくその地に根ざす暮らしの復興、弱者が弱者でない社会へ、内発的創造の復興が必要」と述べました。


(2011年6月12日付「兵庫民報」掲載)

第55回兵庫県母親大会 10年ぶり加印開催

憲法の灯りをくらしの中に

全体会で平和への思いを込めて合唱と詩の朗読をした
加印オープニングシスターズ

「くらしのすみずみに憲法の灯りを」のテーマで第55回兵庫県母親大会(実行委員会主催)が6月5日、加古川市内でひらかれました。10年ぶりの加印地域開催です。
県下各地から980人が参加しました。午前は3つの会館で11分科会と、鶴林寺訪問と寺家町めぐりの見学分科会2コースがおこなわれました。

午後の全体会は加古川市民会館でひらかれました。

この日のために結成し、練習を重ねてきた加印オープニングシスターズの約100人が、合唱と詩の朗読で母親大会の歴史、平和への連帯の思いを紹介しました。

開会挨拶で現地実行委員長の立花一恵さんは、6回の実行委員会で話し合いを重ね、母親チョコレート普及による資金作りと加印の参加目標200人にこだわり突破できた経過を述べました。中村治子大会実行委員長は「みんなの願いを要求に変えていくのが母親運動」と呼びかけました。

松本猛(ちひろ美術館顧問)記念講演

「核兵器も原発もいりません」、
大会後に加古川駅まで母親行進
ベトナム戦争を題材にした絵本『戦火のなかの子どもたち』とちひろの言葉「かわいいもの、きれいなもの、すべてなくなったのが戦争。戦争は人の心をむしばむ」を紹介。松本さんは「子どもたちは幸せで、愛され、自然の中で遊んでほしいという母の思いが1枚1枚の絵に込められている」と述べました。

運動交流では、保育新システム、公立高校学区拡大、加古川の病院統合再編への反対運動が報告されました。

参加者は大会アピール「憲法の灯りをくらしの中に輝かせよう」と特別決議「震災復興とエネルギー政策転換」を確認しました。

(2011年6月12日付「兵庫民報」掲載)

加古川市6月議会一般質問

新市民病院予定地に浸水の想定:病院統合計画の見直しを

加古川市議会の六月定例会で日本共産党の岸本建樹、井上津奈夫、高木英里の三議員が六月二日、一般質問にたちました。

井上津奈夫議員
加古川市は、市民病院と神鋼加古川病院とを統合した独立行政法人をことし四月に発足させ、加古川町本町のニッケ用地での新病院建設計画をすすめています。

今回の一般質問で井上議員は、新病院建設地が、市発行の総合防災マップで、加古川が氾濫した場合、深さ二~五メートルの浸水が想定されている場所であることを指摘。旧市民病院(現・西市民病院)と旧神鋼病院(現・東市民病院)を同所に統合することは、災害時救急医療に支障をきたすおそれがあると批判。統合の中止を求めました。

これに対し市は、新病院建設用地は安全だと強弁するなど、市民の不安に誠実に答える姿勢を示しませんでした。


高木英里議員
高木議員は、生活保護受給者の国保料滞納分を、受給者本人からの申請ではなく、市が請求して生活保護費から徴収していることは、憲法や生活保護の理念に反すると指摘し、徴収を止めるよう求めました。

二市二町(加古川市、高砂市、播磨町、稲美町)の広域化による大型ごみ焼却炉建設計画について、ダイオキシン発生を抑えるために連続運転が必要となり、ごみ減量化と矛盾し、大型焼却炉方式の根本的な見直しが必要だと主張しました。



岸本建樹議員
岸本議員は、中学校給食について、学校の耐震化の完了後という市の態度に対し、保護者から給食の早期実現を求める要望の声があがっていることを紹介。今年度から計画を作成し遅くとも二年以内に全中学校での実施をと求めました。

市は、学校耐震化を優先して進めるため、財政状況を見ながら昼食検討委員会の状況を見ていくとの答弁を繰り返しましが、中学校給食実施の流れを否定できなくなっています。

(2011年6月12日付「兵庫民報」掲載)

三田市議補選に長尾あきのり氏

7月17日告示・24日投票

三田市では七月十七日告示・二十四日投票で市長選挙と市議補選(改選数三)が行われます。

日本共産党阪神北地区委員会はこのほど、新人の長尾あきのり氏(33)を市議補選候補者として、発表しました。

住み、働き、くらし続けられる三田に

長尾あきのり氏
長尾氏は一九七八年西宮市に生まれ、八八年に三田市友が丘に転居。松が丘小学校、八景中学、三田西陵高校に学びました。中学・高校では軟式テニスに打ち込み部長としても頑張り、学級委員長も六年間努め、力を合わせればどんな困難も解決できることを学んだといいます。佛教大学文学部で歴史を学んだあと就職した航空機会社では派遣工の立場の弱さを痛感し、その改善に奔走。その後、ソフトウエア会社に勤務しました。

結婚し、子どもも誕生し、「のどかな三田ですくすく育てたい」と思う一方、同世代が三田を離れるのをみて市政に関心を持ち、「住み、働き、くらし続けられる三田に変えなくては」と痛感。十年勤めたソフトウエア会社をことし四月に退職。「いま市政を変えよう」と三田市内各地を駆けめぐっています。

市議補選に向け、長尾氏は「輝く三田へ五つの提案」として、①子ども医療費無料化を中学生まで拡大など子育て支援に全力を尽くす②県下で三番目に高い国保料値下げなど福祉充実③産業振興で雇用拡大めざす④コミュニティーバス導入など年をとっても安心して暮らせる街に⑤議会改革に全力―を訴えています。(2011年6月12日付「兵庫民報」掲載)

パート労働者が地位保全申立:郵産労神戸西支店分会

「不利益変更応じなければ解雇」は不当

日本郵便神戸西支店で働くパート労働者11人(郵産労組合員)が、会社から、ことし2月「雇用調整」を理由に4月からの一方的な勤務時間削減を提示され「応じなければ解雇」を強制されました。

「労働者の意向を聞かず、不利益変更を迫る雇い止めは不当」と闘い、3月末解雇された労働者が、地位保全の仮処分命令を4月19日、神戸地裁に申し立てました。

訴えたのは中島道子さん(60)ら3人です。中島さんは、6カ月更新を繰り返し、勤続19年になります。

11人は、昨年9月閉鎖されるまで、神戸西支店美穂が丘郵便作業所で働いていました。神戸市西区内の美穂が丘、月が丘、福住地域約2800世帯への郵便物配達を担当していました。高齢世帯への声かけなど地域との交流を大切にし、住民から喜ばれてきました。

会社は昨年2月「事業効率化」を理由に、作業所廃止、パート労働者雇い止めを発表。中島さんたちは、存続と全員の雇用確保を求め組合分会を結成。いったん計画撤回を実現しましたが、半年後閉鎖が強行されました。

神戸西支店の内勤へ移動。勤務時間が削られ、時給も半分以下になりました。郵便物仕分け作業だけでなく、草刈り、溝掃除、換気扇掃除も率先してやりました。年末には寒風吹き抜ける西神中央駅前で年賀状販売もしました。

そのうえ今回の雇い止め。中島さんたちを怒り心頭の思いにさせたのは、ハローワークへ相談に行った組合員が、窓口で「あなたは自己都合退職扱いになっている」と言われたことです。「私たちは郵便の仕事が好き。また戻って働きたい。引き下がりたくない。多くの人に支援してほしい」と訴えています。

(2011年6月12日付「兵庫民報」掲載)

病院に車椅子寄贈:RUNNERS9の会

6年間集めたプルトップ335kg

寄贈した車椅子を囲む「RUNNERS9の会」と
尼崎医療生協病院の医師や職員=6月4日
ランニングと平和憲法が大好きな人たちでつくる「RUNNERS9の会」(発起人・尾方素子)が、缶飲料のプルトップを集めて身体の不自由な人に車椅子を贈るとりくみを全国に呼びかけて6年、このほど1台を尼崎医療生協病院(島田真院長)に贈呈しました。

同会は05年3月発足し、会員は現在、海外のランナーも含め約460人です。国内外の反核平和マラソンで、平和をアピールしながら走っています。

プルトップ収集は05年冬から始め、全国各地の会員や家族、仲間の協力で、こつこつ集め、総量335kになりました。今回これを処分し、得たお金を車椅子購入費用の1部にあてました。

車椅子の肘掛け部分に「寄贈RUNNERS9の会」の刻印をつけました。

尾方さんと、会創立メンバーのひとり丸山敏郎さんが6月4日、尼崎医療生協病院を訪れ、島田院長らに車椅子を手渡しました。

尾方さんは「会員のみなさんが苦労して集めた1つひとつのプルトップが、実を結びました。ありがとうございました。これからも収集に努めます」と語っています。

(2011年6月12日付「兵庫民報」掲載)

救援美術展 神戸で開催

神戸救援美術展(実行委員会主催)が6月3日から4日間、長田の平和と労働会館でひらかれました。

震災被災者と冤罪被害者の支援に、作家から寄贈された作品の頒価を充てる企画です。連日賑わい、「これまでにも数点手に入れ、大切にしています」と話す女性もいました。



(2011年6月12日付「兵庫民報」掲載)

一コマまんが

安心・安全・あカンたれ


宮崎潤二

(2011年6月12日付「兵庫民報」掲載)