被災者の気持ちに寄り添った活動を
神戸市議団 山本じゅんじ
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薄磯地区で被災の様子を聞き取り |
五月二十三~二十七日の五日間、日本共産党神戸市会議員団の四人が、福島県いわき市で活動しました。参加したのは、西ただす議員、赤田かつのり氏、味口としゆき氏と私・山本じゅんじ。地元県議や党組織の方々、兵庫のボランティアの方なども加わって、避難所や被災した個人の住宅などを訪問し、被災の状況や要望などの聞き取りや情報提供などの活動を行いました。
私たちが活動したのは勿来地区と小名浜地区の二つの地域。この地域が位置するいわき市南部では、三月の大震災に加えて、四月十一、十二日の二度にわたる大きな余震で、さらに被害が広がっているのが特徴です。
「生活のめどたたない」の声多数
勿来地区では、避難所も訪問しました。地区内三カ所の避難所で、いまも合わせて百人以上の方が生活。津波の被害に遭った方、地震で家を失った方など、被害は様々。
避難所では、長期にわたっての生活で、食事やプライバシーの問題、これから暑くなるにしたがって入浴や洗濯、食品の保存など暑さ対策が求められていました。津波被害で自家用車が流出し、残った車でお互いにやりくりしながら何とかしのいでいるという声も聞きました。また、避難所からは入浴施設も遠く、入浴も十五分という時間制限も。すでに避難所生活も二カ月。住居に住めなくなったうえ失業、原発による被害も加わって、これからの生活のめどが立てられない、そういう声が多数でした。
個人の住宅への訪問は、勿来地区、小名浜地区ともに行いました。地域によって被災の状況は違うものの、どちらの地域も津波による被害を受けていました。家屋の流出にまでは至っていませんが、床上・床下浸水が相当な規模まで広がっていました。
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薄磯地区で被災の様子や要望を
聞き取る赤田氏(右)
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小名浜の神白地区では、すぐ近くに海岸があり、海に接して建てられていた高校は津波の直撃を受け大破。川を逆流した津波によって、周囲の家屋が浸水しました。この地域はこれまでにも大雨などで年に数回浸水を繰り返しているとのことで、土地のかさ上げをしている家屋もありました。それにもかかわらずの床上浸水。渦を巻いて水が流れ込み、まさかここまでくるとは思わなかったと地元の方々は話していました。
神白地区には雇用促進住宅があり、五十世帯分の二次避難用の住戸が確保されていました。すでにいくつかの世帯が入居していたものの、本格入居はこれからといったところ。ある住宅では、とても狭く、三人で入居したうち一人は押し入れで寝ているとのこと。別のお宅では、夜に酸素吸入しているので家族の眠るスペースが確保できない、大人四人で無理やり生活している家もあるとも聞きました。
支援や制度など必要な情報が不足
被災の規模からすると訪問したお宅はわずかです。しかしその中からも様々な問題点を知ることができました。
特に必要な情報が不足しているということ。どんな支援があるのか、どこに相談したらいいのか、聞かれることもしばしばありました。制度をまとめたパンフレットなどを手渡し説明するととても喜ばれました。また、被害が小さかったからと罹災証明の申請をしていない方や、罹災証明をとることを知らない方も中にはおられました。被害の大小にかかわらず申請することや、罹災証明がないとあとでいろいろ困るからと申請を促すなど、直接訪問してお話をお聞きすることで必要な対策が見えてきます。私たちの訪問活動は、「地元の議員は姿を見せない」と住民の方々が不満を募らせている中で「よく来てくれた」「共産党さんだけです。まわってくれるのは」と大変歓迎していただきました。
地元の党県市議をはじめ党組織の奮闘を生かしていくためにも、訪問活動で被害の状況調査をすることや要望を聞く活動は、非常に大事な活動だと感じました。聞き取った内容は、市や県への要望にも反映され、すでに改善へとつながったものもあります。
震災の話のあとには必ず、原発の今後への不安が語られました。自らの生活や子供たちの将来に直結するだけに非常に不安な思いも抱えておられました。
原発問題も含め、地元の方々の気持ちに寄り添った活動がとても望まれていると実感した五日間でした。
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(左から)味口氏、宮川えみ子福島県議、 (以下1人おきに)赤田氏、西氏、山本氏 |
(2011年6月5日付「兵庫民報」掲載)