Web版の発行はしばらく休止します

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2011年5月22日日曜日

憲法が輝く兵庫県政をつくる会が総会

2013年知事選へ基本戦略ねりあげ、活動強めよう

憲法が輝く兵庫県政をつくる会は五月十一日、神戸市勤労会館で第六回総会を開き、二〇一三年知事選へ向け、今年度の運動方針を決めました。
東日本大震災犠牲者への黙禱のあと、代表幹事の石川康宏氏(神戸女学院大学教授)が開会挨拶。「二年後の知事選挙に向けて基本戦略を早期に練りあげていこう」と呼びかけました。

議案提案にたった北川伸一事務局長は、「憲法が輝く県政実現をめざす私たちのとりくみには、自力の強化も求められている」と指摘。県政の検証と政策づくり、候補者選考など運動方針案を提案しました。代表幹事の前田修氏(弁護士)が新役員の提案を行いました。

「電力の会」の高馬士郎氏が原発とエネルギー問題で特別報告。電力会社の政治献金でゆがめめられた原発行政を告発。「原発とエネルギー政策の転換を」と訴えました。
討論では「憲法十三条の幸福追求権、二十五条の生存権を力に東日本大震災の復興や県政転換の努力を広げよう」「県の新行革プランと県民の矛盾は明らか。県立病院統廃合でも県民のたたかいは、県も無視できない。暮らしを守るたたかいを広げ、県政転換の展望を語ろう」「子どもの医療費無料化、中学校給食など住民要求が政治を動かす新しい変化も確信に、福祉、防災のまちづくりを」「同和問題に矮小化し『解同』と癒着する人権行政の是正を」と参加者が訴えました。代表幹事の田中耕太郎氏が「明石の会」の系統的な活動を紹介しました。日本共産党の宮田しずのり氏、岡正信県委員長も討論に参加しました。

代表幹事の武村義人氏(医師)が閉会挨拶。「自己責任」の名で医療、介護をきりすてる政治の転換を強調しました。総会では、候補者や政策の決定のため幹事団体代表会議を置く会則改定も確認しました。

(2011年5月22日付「兵庫民報」掲載)

復興県民会議が東日本大震災救援報告会

救援・復興へ支援さらに

阪神・淡路大震災救援・復興兵庫県民会議は五月十四日、兵商連会館で東日本大震災の今後の支援のあり方について考える「被災地状況報告会」を開催、四十五人が参加しました。

報告会では、東日本の被災地で支援活動を行っている七団体の代表らが、被災地の現状や支援活動を紹介した映像も上映して、いま求められている支援、これからの支援のあり方について報告。参加者が議論を交わしました。

代表委員で弁護士の前田修氏は、開会挨拶で「思いつきの、上からの復興構想ではなく、私たちが肌で感じた事実認識の上にたって、被災者本位の復興支援へとりくもう」と訴えました。
保険医協会や民医連の代表は、水や電気がとまる困難ななか、現地の医療機関が大震災直後から懸命の医療活動を行ってきたことを紹介。被災した医療機関を支える活動の重要性、震災関連死を防ぐとりくみや避難生活の環境改善、民間医療機関再建への公的支援を強調しました。

兵庫労連の代表は、震災による解雇が被災地だけでなく、被災地外でもおきていることも紹介。系統的な労働相談の重要性を訴えました。建交労の代表も討論で、国による公的就労事業の必要性を強調しました。

兵商連の代表は、被災者が復興への希望をもてるよう漁業、農業、中小企業への支援が緊急課題となっていると強調。既存債務の免除など必要なことはすべて手をうつという政治の役割が求められていると訴えました。

日本共産党は、神戸市議団が報告。党県救援本部長の堀内照文氏も「復興できると希望がみえてくる施策を早く国が打ち出すよう運動を広げよう」と呼びかけました。
閉会挨拶で岩田伸彦事務局長は、「阪神・淡路大震災を体験し、最高三百万円の支援法など、国を動かしてきた私たちが、長期の支援にとりくもう」と訴え、被災者支援法改定の署名活動も呼びかけました。

(2011年5月22日付「兵庫民報」掲載)

岩手の避難所でマッサージのボランティア

岩手県宮古市の避難所を5月3日と4日、兵庫のマッサージ師4人がボランティアとして訪問。避難生活に疲れた人たちの心身をほぐしました。兵庫視覚障害者の生活と権利を守る会(兵視会)の人たちです。そのひとり、小学1年生のとき福井地震にあい、生き埋めが原因で失明した吉田淳治さん(70)=神戸市北区=のレポートです。

被害に何度ももらい泣き
吉田淳治(兵庫視覚障害者の生活と権利を守る会)

宮古市の避難所でマッサージ施術する兵視会の会員
日本共産党宮古地区委員会の紹介で、避難所になっている3つの小学校とグリンピア田老を訪問しました。

メンバーは兵視会の会員4人(うち全盲3人、強度の弱視1人)と、介助者2人です。

2日間、午前午後と各避難所を訪問しました。どこでも次から次へ患者さんが待っている状態です。治療するなかで、何度ももらい泣きしました。

地震の被害より津波の被害の方が甚大だったとのこと。おばあさんと孫、母親と子ども、おじいさん、おばあさん、子どもだけが、それぞれ津波にさらわれた話を聞きました。話をする患者さんもすすり泣きし、私たちもまた涙涙。

吉田さん(前列右から2人目)ら
訪問団と宿所を提供した日本共産党
宮古地区委員会の人たち
私たちも、全員が阪神淡路大震災の被災者だと話しました。おまけに私は48年6月発生の福井地震(M7・1、死者3769人)の生き埋めになり、それが原因で全盲となった体験を語りました。

経験を話すうちに、心が通い、ポツリポツリと被害状況や、亡くなった家族の話をしてくださるようになりました。

避難所によっては数十人の所もあれば、数百人の所もあります。食事は炊き出し。簡易トイレ。洗濯機が用意されているものの、台数が足りず、なかなか順番がまわってこないと嘆く人もいました。

術者としては、どの患者さんにも喜んでもらい、嬉しい限りでした。なかには、私たちの手を握り何度も何度も頭を下げお礼を言う人、「おたくらも疲れたでしょう」と私たちの肩をもみ始める人、「神戸に帰らないで」と懇願する人もいました。

今回の訪問で、マッサージや鍼という仕事にプライドがもてたことが、大きな成果でした。今回ほど喜ばれたボランティアはこれまでありません。治療家冥利につきる満足感を味わいました。


(2011年5月22日付「兵庫民報」掲載)

兵庫労連が日本経済・震災復興の学習会

全労働者視野のたたかいへ

兵庫労連は五月十三日、“大企業の横暴と闘い、「日本経済」「震災」復興を考える”学習会を開催。講師には月刊誌『経済』元編集長の友寄英隆氏を迎え、約六十人が参加しました。

最初に兵庫労連の北島隆事務局次長が、東日本大震災以降、情勢は大きく変化し、賃金・雇用、消費税、税と社会保障の問題など、全労働者を視野に入れたたたかいをすすめるためにと、企画意図を報告しました。

友寄氏は、大震災後の新しい情勢の意味を、労働者階級の立場からどのようにつかみ、どのようにたたかうのかが、今、問われていると述べ、①東日本大震災・原発大事故の衝撃②日本の政治・経済・社会のあり方の根本的再検討③世界の流れは躍動している―の三点について語りました。

日本共産党の志位和夫委員長が今年のメーデーで、原発をゼロにする期限をきめたプログラムを策定することを政府に求め、一大国民運動を起こすことを呼びかけたことを紹介し、「原発依存のエネルギー政策の転換は戦後の日本経済の資本蓄積・再生産のあり方を『自然と人間の正常な循環の回復』という視点から根本的に見直すことでもある」と解明しました。

友寄氏は、講演の結びとして、「労働者・国民がめざす日本の方向を明確にうち出し、運動をすすめる必要がある」と訴えました。

(2011年5月22日付「兵庫民報」掲載)

五百旗頭真氏が復興構想会議議長とは?

東日本大震災復興構想会議議長の五百旗頭真氏(いおきべ・まこと=神戸大学名誉教授=)は、就任早々「(阪神・淡路大震災の)被災がかわいく思える」と発言、あるいは「震災復興税」の創設を打ち出し、ひんしゅくを買いました。

そもそも、防衛大学校長で日米関係についての学者という彼がなぜ復興構想会議のトップなのか? 違和感を覚えた方は少なくないと思います。

彼は根っからの安保絶対論者であり、「戦争できる国に変える」ための改憲論者です(筆者は04年9月19日付本紙でこのことを紹介しました)。民主党政権が普天間基地をめぐって揺れに揺れたあげく、自民党政権がアメリカと交わした「合意」に立ち戻った時には、次のようにコメントしました。

―「鳩山首相(当時)も就任8カ月を経てそれ(米軍なしに日本はやっていけないということ)を認識し、『抑止力』を口にして現行計画に帰着した。それは正しい認識であり、首相がそこから揺らぐ気配のないことを幸いに思う」(『読売』10年6月1日)
目下進行中の大災害でも「日米同盟の影」を見落とすことはできません。半世紀余にわたる原発推進政策の根底には、アメリカの核戦略と安保体制があります。アメリカと財界の利益優先のもとで、「行革」が強行され、福祉、医療、防災などがどんどん削減されてきました。五百旗頭氏は日米同盟を「公共財」「資産」とまで持ち上げますが、安保体制こそ、日本社会のゆがみ・民衆の不幸の根源ではないのでしょうか。
彼は「ネオコンの勢いで戦火を切った米国の判断は良くないが、ブッシュ政権が決断した以上、同盟国として協力すべきだ。…米国の判断を尊重しなければならない」(03年11月28日『共同通信』)というような〝論法〟が得意です。一見冷静な論立てとしつつ、結論は「日米同盟絶対」に落とし込んでいきます。原理主義的「右翼」とは異なり、危機に当たっての「理性的イデオローグ」としての「能力」が買われたのでしょうか。

“大震災・原発災害を日米同盟を揺るがすような結果に絶対つなげない。むしろ、同盟のいっそうの「深化」への好機にしたい”―日米支配層にそんな意図が働いたのかもしれません。
五百旗頭議長はじめ、「復興構想会議」が、復興とは似て非なるものを、被災者に押し付けることのないよう、きびしく見つめていきたいものです。
S生

(2011年5月22日付「兵庫民報」掲載)

新人議員紹介:三木市 板東聖悟議員

リフォーム助成実現、粟生線存続市民の声に応えて

三木市街地を背景に―板東議員
三木で生まれ、三木で育った私が、日本共産党の三木市議会議員になれたことを大変うれしく思います。

私にとって候補者活動は、大変でしたが、とても楽しい経験でした。

住宅リフォーム助成制度を三木市でも実現させるために頑張ります。三木市は大工金物の街ですから他の地域以上に経済波及効果が見込めます。震災前に助成制度を実施している岩手県宮古市の民商に直接聞くと、金物卸業者のトラックも市内でよく見られるようになっていたそうです。

そして、神鉄粟生線の存続のために全力を尽くします。駅でビラをまいていると「粟生線守ってや!」と一見こわおもての方からも通りすがりに声をかけられました。私に期待をしていただいていることをビンビンと感じました。

神鉄は市民の足としての社会的責任を果たすべきです。そして、三木市は市民が神鉄を使いやすくするための街づくりに転換していくべきです。

市議会ではもちろん、あらゆる手を尽くして存続のために取り組みたいと思っています。

「兵庫民報」でも読者の皆さんが板東の記事が出ていることを楽しみにしてもらえるよう頑張ります。今後ともよろしくお願いします。

(2011年5月22日付「兵庫民報」掲載)

新人議員紹介:小野市 藤原章議員

苦労して働く人たちが 報われる社会にしたい

説明を追鈴垣氏(右)の議席を引き継いだ藤原議員(その左)加
鈴垣元さんの議席を継ぐことができました。先輩に学んで頑張りたいと決意を新たにしています。

私が生まれた大開町は旧満州から引揚げてきた開拓村です。地域の人たちは命がけで引揚げ、開拓の苦労を助け合いながら乗り越えてきました。「戦争は絶対にいけない」「苦労して働く人たちが報われる社会にしたい」これが大開町で育った私の原点です。

東播建設労働組合に勤務し、建設現場で一生懸命に働く人たちのお世話をさせていただく中で、その思いは一層強くなりました。

小野市は「市役所は市内最大のサービス産業の拠点」を唱える蓬莱市長のもとで、子どもの医療無料化や全教室へのエアコン設置など先進的な施策も行われています。

一方で「行政も経営」という視点で職員数は県内最少です。私は今回の選挙で「何よりも人を大切にする政治」を訴えてきましたが、東日本大震災や福祉行政などを考えると、人が少ないことが本当に良いのか、一考すべきだと思います。

四カ月間の活動でしたが、いろいろな声を寄せていただきました。国政を変えないと解決しない課題も多いのですが、自治体が少しでも「住民の暮しや福祉を守る砦」として機能するよう頑張っていきたいと思います。

(2011年5月22日付「兵庫民報」掲載)

新人議員紹介:太子町 平田孝義議員

涙流し駆け寄ってくれた人も ひしひしと感じた期待

個人演説会で訴える平田議員
二十二歳で故郷・長崎県五島列島から姫路・広畑に転じ、太子町東出ケ丘に住んで三十二年。無我夢中で社会の荒波とたたかい、リフォーム業を営みながら、民商、医療生協、九条の会などの活動を通じ、多くの仲間と出会いました。

その中で「住民こそが主人公」の町政めざし長年がんばってこられた桜井公晴議員の後を引き継ぐため町議選に立候補をと要請を受けました。

党支部は、後援会ニュースや「太子民報」の配布、但馬民商の友人の応援による連日の「赤旗」宣伝車運行で日本共産党の姿を知らせました。

街頭演説では、玄関から飛び出してきて聞いてくれる人、窓をそっと開けて聞いてくれる人、なかには涙を流しながら駆け寄ってくれたお年寄りもあり、私も思わず声を詰まらせての訴えとなりました。最終日、土砂降りの中での朝立ちには二十台あまりの車中から手が振られました。

選挙戦を通じ、「住民が主人公」の町政、安心・安全の福祉・医療の充実、ムダをなくし暮らし優先の町政への大きな期待をひしひしと感じました。また、議員のあり方、議会の活性化への厳しいまなざしも感じました。

これに応え、期待に沿えるよう、公約実現へ全力でがんばります。

(2011年5月22日付「兵庫民報」掲載)

新人議員紹介:播磨町 松岡光子議員

地域の人々と対話広げ、 「いのちの平等」大切に

自転車で訴えた松岡議員
播磨町議会議員に六十三歳で立候補、初当選した松岡光子です。

私は看護師として働きながら、四人の子育て、両親の介護、孫の世話と走り続け、そろそろ残りの人生、ゆっくり自分らしく暮らしたいと思っておりましたところ、突然、立候補の要請を受けました。私自身の能力・体力の問題、家族の問題もあり、決心がつきませんでした。

播磨町に住んで八年。地域活動といえば、昨年できた医療生協の支部活動と、播磨町9条の会に参加していることと、ご近所の若い人たちとのお付き合い。当選の可能性を確信できない状態の中、「二名の議員を一名に減らすわけにはいかない」と思い、立候補を決意しました。

党と後援会の皆様を信じ、住民の皆様との対話を大切に、地縁・血縁とは無縁の新築住宅やアパートもこつこつ訪問し、様々なご意見・ご要望を聞かせていただきました。昨年実施したアンケートにも「国民健康保険税が高くて払えない。なんとかして欲しい」「医療費無料化を」「住宅リフォーム助成制度を実施してほしい」との願いが寄せられています。

こうした声を実現するため、「いのちの平等」を大切に、「住民が主人公」の立場で頑張ります。


(2011年5月22日付「兵庫民報」掲載)

公害・行政・労災アスベスト訴訟が連続開廷

裁判経過を報告する本上博丈弁護士=5月13日

石綿(アスベスト)健康被害の3訴訟の弁論が、5月11日から3日間連続し、神戸地裁でひらかれました。

公 害

▽11日は、国とクボタに対し、旧神崎工場周辺住民が健康被害の賠償を求める公害裁判の第21回弁論が第5民事部(小西義博裁判長)でおこなわれ、約50人が傍聴しました。

原告弁護団は、石綿の大気拡散を過小に主張する被告クボタの準備書面に反論。青・白石綿を使用していた54年から95年にかけ大量の粉塵を工場外に拡散していた事実を指摘。八木和也弁護士は「周辺住民は自らが危険にさらされていることを知るよしもなかった」と述べました。次回は7月12日です。

行 政

▽また、神戸港で長年荷役作業に従事し肺ガンを発症した松本博さん(77)が、石綿被害認定の健康管理手帳は発行しながら、時効を理由に労災申請を認めない国に対し休業補償不支給取消を求めている裁判が翌12日、第6民事部(矢尾和子裁判長)で結審しました。

本上博丈弁護士は「遺族補償と違い、労働者本人の労災申請は時効2年の壁がある。隙間だらけの救済策を正したい」と語っています。判決は9月15日です。


労 災:港湾労働者本人訴訟は9月判決


▽13日は、クボタ旧神崎工場で働き肺ガンで死亡した労働者の2遺族が原告の労災訴訟第8回弁論が第1民事部(長井浩一裁判長)でひらかれました。弁護団は石綿被害への規制を怠った国の不作為の責任を追及しました。次回は7月15日です。

(2011年5月22日付「兵庫民報」掲載)

劇団かすがい公演「わりかん」

親の介護をテーマに

稽古の一場面
劇団かすがい(樋口伸廣代表)が津々見俊丈作「わりかん」を5月20日から6月4日まで金土日曜の8日間、尼崎市尾浜町の同劇団コミュニティシアターAQで上演します。

若年認知症の妻を介護していた夫が死亡。幕が開くと葬式翌日です。離れて暮らす息子と近所に住む娘が、母親をどうするか話し合いますが、平行線。妊娠がわかったばかりの娘は、産むかどうかも悩んでいます。

愛する人を失った悲しみ、忘れかけた絆、家族だけでは抱えきれない介護の現状が、描かれています。

演出は、樋口さん。「避けて通れない深刻な内容だからこそ、明るく表現したかった。自分なりの料理に仕上げたので、ぜひ観てほしい」と語っています。


劇団かすがい公演「わりかん」

  • 津々見俊丈作、樋口伸廣演出
  • 5 月20 日(金)・27日(金)・6月3日(金):19時
  • 5月21日(土)・28日(土)・6月4日(土):14時30分・18時30分
  • 5月22日(日)・29日(日):11時30分・15時30分
  • 劇団かすがいコミュニティシアターAQ(尼崎市尾浜町1 丁目)
  • 予約制、一般2,500(当日2,800)円、小中高生500(800)円、障がい者1,000(1,300)円、ペア・3人以上・リピーター割引あり
  • ☎06・6428・7292


(2011年5月22日付「兵庫民報」掲載)

観感楽学

原発災害で注目される放射線量―その基準は、広島・長崎の原爆被害の調査が基礎になったが、残留放射線の影響・放射性物質を体内に取り込む内部被曝の危険は無視された。放射性物質の残虐さが隠され、「安全神話」を補強した▼核兵器開発や未確立の技術のままの原子力利用を推進する政策が背景にある。こうしてつくられた基準があって、放射線量評価のたびに、「ただちに健康に影響なし」の発言が繰り返された▼内部被曝の危険に光をあてたのは、原爆症認定集団訴訟だった。広島・長崎の被爆者の体験が、内部被曝や残留放射線による被曝と疾病との因果関係を認めさせた▼長崎大学では、長崎原爆で死亡した被爆者の体内に取り込まれた放射性降下物が、被爆から六十年以上たっても放射線を放出し続けている様子の撮影に成功した。被爆の影響調査を続けている放射線影響研究所所長は、原爆の放射線被害で解明されているのは五%程度という。放射線を長期に浴びての人体への影響は未知の部分が多いということだ▼兵器であれ原発であれ、放射能被害を許さないために、広島・長崎の被爆者の被害の実相から学ぶことが出発点になる。 (K)

(2011年5月22日付「兵庫民報」掲載)

ひなたぽっころりん(468)



(2011年5月22日付「兵庫民報」掲載)