兵庫県労働組合総連合議長 津川 知久
メンバーは車所有者で運転担当の全港湾阪神支部の稲田英也さん、労連役員の森栗強さんと一ノ瀬達也さん、菊本義治兵庫県立大学名誉教授と私の5人です。予定は3日間。宿泊地と定めた新潟市をベースに12日、3つの県労連事務所を訪問する計画でした。
震度5に迎えられ
1日目、700kmを走破し、ホテル到着。受付の女性が青い顔で「つい先ほど大きな地震がありました。エレベーターが使えなくなるかもしれないので、階段位置を確認しておいてください」とのこと。
あとで調べると17時16分福島県浜通り震源、マグニチュード7、新潟は震度5。そのころ私たちはまだ車中だったので気づきませんでした。
2日目、午前7時ホテルを出発。悲しいまでに美しい磐梯山を左手に見ながら、やがて車は磐越自動車道から東北自動車道へ。とたんに通行量が増え、いたる所で道路が傷んでいます。応急修理されているものの、車はたえず大きくバウンド。
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岩手県労連の金野事務局長(左)に お見舞い金と支援物資を手渡す 津川議長(右)と森栗さん(中央) |
避難生活をおくっている4万8千人の内、避難所には2万人。残り2万8千人は自宅などで孤立しており、食料など支援物資が届いていない。したがって県労連や民商、新婦人や共産党などでつくる「共同対策本部」は被害の激しい地域ごとに支援センターを設置。行政の手の届かないところへの支援物資配送が中心とのことでした。
「町がないのです」
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阪神・淡路大震災のさい 神戸長田の支援に来てくれたという 鈴木宮城県労連議長(右)、 中央は菊本教授 |
聞けば、鈴木議長は16年前の阪神・淡路大震災の時、神戸長田地域で1週間ほど支援活動をされたとのこと。胸が熱くなりました。
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福島県労連を訪問し斎藤議長(右)を 激励しました |
それぞれで充分お話を伺えなかったもどかしさを思いつつ、新潟のホテルに帰りついたのは24時15分。翌日になっていました。
事態の深刻さを痛感
訪問した各県労連がいずれも、救援復興への共同組織の中心として奮闘されていることに、私たちが勇気をもらいました。しかし大震災から一カ月が経っても、支援物資を届けるにも苦労されており、事態の困難さを知りました。
真の復興へ兵庫からも発信
だからこそ阪神・淡路を経験した私たちが支援を発信する役割の重要さを痛感します。
「創造的復興」と称し神戸空港建設など政府や兵庫県・神戸市がおこなってきたことを繰り返させてはなりません。働く者や農漁業者、中小業者の生活と営業再建を何より大事にした、真の復興のため、兵庫からねばり強く発信していきます。
(2011年4月24日付「兵庫民報」掲載)