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2011年4月24日日曜日

東日本大震災:激甚被災県労連へ激励連帯キャラバン

兵庫県労働組合総連合議長 津川 知久

兵庫労連は、東日本大震災でとくに被害の激しい岩手・宮城・福島の県労連に支援物資と激励連帯の声を届けようと4月11日朝、神戸を出発しました。

メンバーは車所有者で運転担当の全港湾阪神支部の稲田英也さん、労連役員の森栗強さんと一ノ瀬達也さん、菊本義治兵庫県立大学名誉教授と私の5人です。予定は3日間。宿泊地と定めた新潟市をベースに12日、3つの県労連事務所を訪問する計画でした。

震度5に迎えられ

1日目、700kmを走破し、ホテル到着。受付の女性が青い顔で「つい先ほど大きな地震がありました。エレベーターが使えなくなるかもしれないので、階段位置を確認しておいてください」とのこと。

あとで調べると17時16分福島県浜通り震源、マグニチュード7、新潟は震度5。そのころ私たちはまだ車中だったので気づきませんでした。

2日目、午前7時ホテルを出発。悲しいまでに美しい磐梯山を左手に見ながら、やがて車は磐越自動車道から東北自動車道へ。とたんに通行量が増え、いたる所で道路が傷んでいます。応急修理されているものの、車はたえず大きくバウンド。

勇気もらった現地の奮闘

岩手県労連の金野事務局長(左)に
お見舞い金と支援物資を手渡す
津川議長(右)と森栗さん(中央)
午後1時過ぎ、盛岡市内の岩手県労連事務所に到着。お見舞い金と支援物資を手渡し、金野耕治事務局長から県内被災地の状況を伺いました。

避難生活をおくっている4万8千人の内、避難所には2万人。残り2万8千人は自宅などで孤立しており、食料など支援物資が届いていない。したがって県労連や民商、新婦人や共産党などでつくる「共同対策本部」は被害の激しい地域ごとに支援センターを設置。行政の手の届かないところへの支援物資配送が中心とのことでした。

「町がないのです」

阪神・淡路大震災のさい
神戸長田の支援に来てくれたという
鈴木宮城県労連議長(右)、
中央は菊本教授
つづいて午後5時過ぎ、宮城県労連事務所へ。鈴木新議長と鎌内秀穂事務局長にお話を聞きました。ここも県労連など17団体で「宮城災対連・東日本震災共同センター」を震災2週間後に立ち上げ、物資受け入れスタッフとボランティア配置スタッフに役割分担し、奮闘されています。南三陸町の状況については「町がないのです」と沈痛な面持ちで事務局長が話していました。

聞けば、鈴木議長は16年前の阪神・淡路大震災の時、神戸長田地域で1週間ほど支援活動をされたとのこと。胸が熱くなりました。

福島県労連を訪問し斎藤議長(右)を
激励しました
福島県労連事務所に着いたのは午後8時。斎藤富春議長、野木茂雄事務局長と懇談しました。ここでも「復興共同センター」を立ち上げ、被災の激しい12カ所に地域センターを開設する計画で、現在10カ所が稼働しています。地震と津波の上に原発事故がかぶさる福島、「ボランティア受け入れも慎重になっている」とのこと。


それぞれで充分お話を伺えなかったもどかしさを思いつつ、新潟のホテルに帰りついたのは24時15分。翌日になっていました。

事態の深刻さを痛感

訪問した各県労連がいずれも、救援復興への共同組織の中心として奮闘されていることに、私たちが勇気をもらいました。しかし大震災から一カ月が経っても、支援物資を届けるにも苦労されており、事態の困難さを知りました。

真の復興へ兵庫からも発信

だからこそ阪神・淡路を経験した私たちが支援を発信する役割の重要さを痛感します。

「創造的復興」と称し神戸空港建設など政府や兵庫県・神戸市がおこなってきたことを繰り返させてはなりません。働く者や農漁業者、中小業者の生活と営業再建を何より大事にした、真の復興のため、兵庫からねばり強く発信していきます。

(2011年4月24日付「兵庫民報」掲載)

住民と力あわせ原発誘致阻止

福島原発事故の危機打開へ、いま日本共産党は、情報の全面開示、内外の専門家の知恵と力の総結集をよびかけています。

原発建設をめぐって兵庫県内では一九五〇年代末から、御津町、南淡町、香住町、岡山県日生町鹿久居島(赤穂市に隣接)、家島町などが建設候補地として名前があがりました。「安全だ」と唱えるだけの国や電力会社、原発誘致に走ろうとした兵庫県に対し、日本共産党は、一貫してその危険性を告発。住民と力を合わせて反対運動にとりくみ、建設を許していません。

御津町、全国「二番目」候補地に

御津町に茨城県東海村の一号炉につぐ全国で二番目の原発候補地として、白羽の矢がたてられました。一九五八年頃から誘致の動きがあり、一九六〇年十二月、関西電力が御津町を最有力候補地にあげたことが新聞報道で表面化。

当時の知事らが推進の方向でうごくもとで、日本共産党は、原発がまだ研究開発段階にあり、安全性でも大きな問題があることも指摘し、計画の危険性を訴えました。学習会や宣伝資料の発行など活発にとりくみ、各種団体にもはたらきかけました。県総評にも議論してもらい、原発建設反対がメーデースローガンにも決定されるなど、運動が広がりました。

その後、計画は「沙汰やみ」になりました。

香住町、「町はじまって以来」のデモも

一九六七年十一月、兵庫県と香住町が、香住町下浜地区に関西電力の原発を誘致する方針を発表しました。日本共産党兵庫県委員会はただちに「誘致反対」の態度をきめ、県議会で県当局を追及。「ひとたび事故が起これば…深刻な被害を及ぼす」「関西電力の言い分をまるごと飲み込むような政治的な態度はおかしい」ときびしくただしました。香住町の地元では、有志の人たちが開いた講演会で党の代表が講演したり、党香住町議も地元の人たちと協力して大奮闘しました。

原発設置反対の集会、「町はじまって以来」の約三百人のデモなどたたかいが広がりました。一九七〇年九月町議会で、日本共産党町議の質問に、町長がついに原発を事実上たなあげにする答弁をおこないました。つづいて隣町の浜坂町の居組などがつぎの建設候補地にあげられましたが、建設を許しませんでした。

四国電力が日生町鹿久居島に計画

一九七〇年になると、こんどは中国電力が赤穂市に隣接する岡山県日生町鹿久居島に原発を建設しようという計画がもちあがりました。

日本共産党西播地区委員会は「赤穂の鼻の先“鹿久居島”の原子力発電所計画に反対しよう」と訴えた政策を発表。「住民に放射能被害の不安をあたえ、日生町・赤穂市の住民の生命と生活をおびやかす原子力発電所建設計画をすぐ中止すること」を求めました。そして「全民主勢力は、日生町の『鹿久居島原子力発電所反対実行委員会』と協力して原発建設反対の闘争にたちあがろう」とよびかけました。

建設反対の市民運動、現地の漁業者を中心とする運動のたかまりなどのなかで建設をおしとどめました。

(2011年4月24日付「兵庫民報」掲載)

原発誘致くいとめた兵庫の住民運動と福島市郎さん

原発問題の各種資料の中に、福島市郎さん(故人)の著書『革新の旗をかかげて』(一九七六年同編集委員会刊=写真)がありました。兵庫県原水協事務局長を長く務め、その後、日本共産党西播地区委員長や衆院旧4区候補者などと活躍した方です。

一九六〇年に御津町(現たつの市)が「茨城県東海村につぐ…全国で第二番目の原子力発電所の候補地」となってから、南淡町(現南あわじ市)、香住町(現香美町)、家島町(現姫路市)と県下各地に原発誘致の動きがありました。

福島さんたちは学者の協力を得つつ、資料を作り、学習・宣伝をすすめ、共同を広げ、県や地元自治体に働きかける住民運動を推進します。結果、七〇年代で県下への原発誘致の動きはほぼ収まったようです。

「放射能障害に苦しむ被爆者の姿に接してきた経験も、大きな力」とし、「軍事利用が圧倒的であり、安全性においても多くの問題をはらんでいる原子力開発をあまりにも安易にすすめようとした動き(を批判し)、地域住民の安全とくらしをまもるためにはたらいてきただけである」と謙遜します。

「欠陥原子力開発をすすめることは、郷土の将来のためだけでなくわが国の前途に大きい禍根をのこす」という半世紀前の警告と運動に、敬服の思いを新たにしたことです。 (S生

(2011年4月24日付「兵庫民報」掲載)

消防広域化計画:消防力をリストラ?

「広域化」よりも国基準みたし充実を

兵庫県内には三十の消防本部、五十四の消防署があり、五千六百七十三人の消防職員が従事しています。

いま、兵庫県は、この三十消防本部を十一に再編する計画(消防広域化推進計画)をすすめています。

そもそも、「広域化計画」は、消防組織法を改定し、「住民サービスの向上」や「人員配備の効率化と充実」という広域化の「メリット」を強調し、国がすすめているものです。

これに対し、自治労連と消防職員ネットワークは、全国の消防職員数が、国の定めた水準の七六%にとどまっている原因は、政府の「公務員削減計画」にあり、消防職員の人件費の財源的な根拠となる市町への普通交付税も、人口十万人あたり百十九人と、消防力の国基準よりも低いレベルになっていることを指摘し、「広域化計画」の危険性を指摘しています。

「消防広域化」の目的は、消防力の強化ではなく、公務員削減、自治体リストラの強化による国の地方財政への支出削減であることは明らかです。

市町合併の推進のときも、県が押し付け、市町も財政的理由から合併を選択せざるとえない事態が相次ぎました。しかし、いま「合併でよかったことがない」という声が各地で聞かれます。

住民の命を守り、災害に強いまちづくりをすすめるため、国や県に、「広域化計画」をすすめるのではなく、国基準を満たす消防力と予算の充実を強く求めていくことが必要です。


写真:芦屋市の消防本部―「広域化」は管轄人口十万人をめどとするため、近隣の消防本部との統合が懸念されています。

(2011年4月24日付「兵庫民報」掲載)

小選挙区の弊害県議選にも

上脇博之神戸学院大教授が検証

衆院小選挙区制など、定数の少ない選挙区の場合、有権者の政党選択と実際の議会の構成とに食い違いが生じやすいことが懸念されてきましたが、四月十日に行なわれた兵庫県議選でも得票率と議席占有率の隔たりが生じていることを『議員定数を削減していいの』(日本機関紙出版センター刊)などの著作もある神戸学院大学の上脇博之教授(憲法学)が検証しています。


今回の県議選での各政党の得票率、獲得議席数、議席占有率は表1。得票率で比例配分した議席数を試算しました。無投票選挙区での有権者の選択は算入していません。実際に比例代表選挙になれば有権者の投票行動や政党の立候補のあり方も変わります。

あくまで現行制度における得票率からの試算ですが、自民党と無所属が過大代表され、共産党とみんなの党が過小代表されていると上脇氏は指摘します。その原因について「定数一~三の選挙区から選出される議員が総定数八十九のうち五十九議席、全体の三分の二弱を占めていること」をあげています(表3)。


また、今回は八選挙区で無投票となりました。一九七九年に十八選挙区二十三人が無投票当選となったのが最多ですが、毎回、一~二割の議員が無投票で議席を得ています(表2)。とくに一人区に無投票となることが多くみられ、養父市のように今回で七期連続の無投票となっている選挙区もあります。


上脇氏は、「憲法が要請する投票価値の平等と民意の正確かつ公正な議会への反映を実現することが、衆参の国政選挙だけではなく、地方議会選挙にも妥当するから、政党・会派の発達したところでは、地方議会議員を選出する選挙制度は、民主的で中立・公正な選挙制度、すなわち比例代表制に改めるべき」と主張しています。

(2011年4月24日付「兵庫民報」掲載)


D A T A

表1 議席占有率と得票率との隔たり

政党名 獲得議席数 議席占有率(%) 得票率(%) 比例配分議席数 実際との差
自由民主党 26 29.21 > 25.43 23 3
民主党 17 19.10 19.39 17 0
公明党 12 13.48 13.20 12 0
日本共産党 5 5.62 < 9.92 9 ▲4
みんなの党 1 1.12 < 3.58 3 ▲2
諸派 1 1.12 1.18 1 0
無所属 27 30.34 > 27.31 24 3
合計 89 100.00 100.00 89 0

表2 無投票となった選挙区数と議員数
選挙実施年
1979
1983
1987
1991
1995
1999
2003
2007
2011
選挙区数
46
46
46
46
46
46
46
44
41
総定数
91
91
91
94
92
92
93
92
89
無投票
選挙区数
18
0
8
16
15
18
18
7
8
39%
0%
17%
35%
33%
39%
39%
16%
20%
議員数
23
0
8
17
15
19
21
11
9
25%
0%
9%
18%
16%
21%
23%
12%
10%

表3 定数で分類した選挙区数と選出議員数(今回の場合)
選挙区数 議員数 割合
1人区 21 21 24%
2人区 7 14 16%
3人区 8 24 27%
4人区 2 8 9%
5人区 0 0 0%
6人区 0 0 0%
7人区 2 14 16%
8人区 1 8 9%
合 計 41 89 100%



高裁勝利判決めざし日本トムソン正社員化闘争激励集会

日本トムソン正社員化闘争激励集会が4月15日、神戸市勤労会館でひらかれ、101人が参加しました。兵庫労連とJMIU兵庫地本が主催しました。

JMIU日本トムソン支部の労働者9人が解雇撤回と正社員化を求めている裁判はことし2月23日、神戸地裁姫路支部で、会社の法違反を認定しながら解雇を容認し、慰謝料支払いだけを命じる判決が出されました。

原告、被告ともに控訴しました。

津川知久兵庫労連議長は主催者挨拶で「日本の司法到達点突破が私たち支援の闘い」と述べました。

裁判闘争の報告で吉田竜一弁護士は「日本トムソンの労組が、派遣労働者の問題を自分たちの問題と位置づけて闘い、直接雇用を勝ちとった。全国60地裁に09年春提訴された派遣切り訴訟の先駆け。わずか1人50万円の損害賠償だが、使用者側を震撼させた影響は大きい。高裁でのひきつづく裁判闘争と、労働者派遣法を改正させる立法闘争を、車の両輪に」と呼びかけました。

主催者が経過報告とともに、高裁要請署名と原告を支える会への協力を訴えました。

また、最高裁で勝利判決を勝ちとった建交労INAXメンテナンス近畿分会代表らが連帯の挨拶をしました。

日本トムソン支部の前尾良治委員長と原告の川井雅広さんが決意表明。「ともにスクラムを組んで闘おう」と支援を訴えました。


写真:高裁勝利へ決意を述べるJMIU日本トムソン支部の川井雅広さんと前尾良治委員長

(2011年4月24日付「兵庫民報」掲載)

自立支援法訴訟基本合意の完全実施めざし元原告や支援者が集会

「応益」の名で利用者負担を強いる障害者自立支援法は憲法違反だと、国を相手どり、障害者71人(兵庫13人)が全国14地裁に提訴した裁判は、両者が昨年1月締結した基本合意をもとに同4月15日、和解が成立しました。

和解1周年のことし4月15日、基本合意の完全実現をめざす会が近畿ブロック学習決起集会を、あすてっぷ神戸でひらきました。近畿各府県から元原告や家族、支援者ら100人が参加しました。

障害者自立支援法訴訟全国弁護団事務局長の藤岡毅弁護士が「被災地支援法と総合福祉法のめざすところ」と題して講演。「日弁連被災地支援法律相談のなかで、災害弱者への支援制度の貧弱さを痛感した。一番の弱者に牙をむく状態になっている」と述べました。

障害者基本法改正では3月11日、障害者制度改革推進本部がひらかれ、法案を確認。その直後の大震災発生で閣議決定が止まっています。「人権としての基本法改正へ、不十分ながらも改善されてきた。白紙にしたくない」と語りました。

元原告が発言。「応益負担がいまもあるのは残念。障害者の仲間の震災死はものすごく辛い」(奈良・小山冨士夫さん)、「裁判でみんなと運動できた。自分は1人ではないと実感した」(大阪・原田勲さん)など述べました。


写真:「障害は自己責任ではない」と語る藤岡毅弁護士

(2011年4月24日付「兵庫民報」掲載)

大雪被害実態調査を約束させる

日本共産党新温泉町議員団が県へ申し入れ

日本共産党の新温泉町議員団は十五日、兵庫県に対して「大雪による被害対策」について次の四点を申し入れました。

①早急に被害状況を確認し、営農・営林が続けられるよう、支援策を講じること②被害にあった樹木の撤去・搬送・処理の費用に対し、補助を行うこと。また、適正価格を保持するよう必要な指導監督を行うこと③高齢化や過疎化によって、民家の雪下ろしや生活道路の除雪が困難になっています。費用助成やマンパワー確保等に対する必要な支援制度を創設すること④激甚指定要件の緩和、雪による被害の特性に見合った基準整備などの災害救助法改正および被災者生活再建支援法の早期改正(拡充)を国に求めると共に、県としても実態とニーズに対応する措置を取ること。

昨年末から新年にかけて降った大雪で、鳥取県では漁船が沈むなどの被害が出ましたが、兵庫県の日本海岸近くでも、杉や檜が折れたりビニールハウスが押しつぶされたりするなど、被害がありました。また、高齢化と過疎化によって屋根や生活道路の除雪もままならない状況です(三月二十日付に既報)。

申し入れに応対した県農林水産局林務課長が、「被害があったという話は初めて聞いた」「広域でないため、行政(県)が手を出すというのはどうかと思う」などと述べたのに対し、谷口功議員は「二次災害の危険性がある状態を放置するというのか」「林業が続けられなくなったり、森林の管理ができなくなったりしたのは政策の誤りによるものであり、県にも責任の一端はある」と反論。その結果、課長も実態調査を約束しました。

一方、企画財政局市町振興課の担当者は、「よくわかります」「国にも交付税や特別交付税の透明性などを繰り返し要望しています」などと述べました。

(党県委員会農林漁民部・金田峰生)

(2011年4月24日付「兵庫民報」掲載)

シンポジウム「TPP問題を考える」

自国の食料確保困難に

日本科学者会議兵庫支部と兵庫食健連、兵庫農民連主催のシンポジウム「環太平連携協定(TPP)を考える」が4月16日、神戸市勤労会館でひらかれ、約30人が参加しました。

2人が報告。小野雅之神戸大学教授は、関税撤廃を求める日経連「成長戦略」と、足並みを揃え政府が発表した「新成長戦略」の類似性を指摘。輸出倍増をめざすアメリカと、普天間基地問題での関係修復を求める日本政府がまったくの例外を認めない自由貿易協定を結ぶことによる、国内農業への影響を述べ、「国益か農業か」の二者択一問題ではないと強調しました。(写真)

柳澤尚兵庫食健連事務局長は「残されたわずかな農産物にも関税撤廃を迫る協定で、日本は自前の食料が確保できなくなる。いま日本の食料自給率は27%と砂漠国並み。その一方で米価は低落している」と語りました。

参加者から、林業・水産業への影響などについての発言もありました。

(2011年4月24日付「兵庫民報」掲載)

民青県委員会が新歓

スポーツで交流、学びの意味も語り合う 

民青同盟兵庫県委員会は四月十六日、芦屋市立体育館で新入生歓迎企画でバスケットボール、バレーボール、ドッチボールをするスポーツ交流会を開催しました。

参加者は九人、神戸大学に入学したばかりのK君も参加しました。「こんなに運動をするのは久しぶり」「たまには体を動かしたいから今日は運動をできてよかった」など和気あいあいと体を動かしました。

汗を流した後は新入生歓迎行事について話し合いました。学ぶことの意味や、その中で民青が果たす役割なども話し合いました。

K君は、「感性を高めなければものごとを捉えられないと思う。そんな感性を高めるためにも教養は必要だからそんな幅広い教養を大学で身につけたい。民青の人たちは話していると感じますけど、すごく教養がありますね」「東北のボランティアにも行きたいし、原水爆禁止世界大会にも参加したいです」とさっそく入りたての民青の活動に魅力を感じ、意欲も出しています。

また、他の参加者からも「民青に入っていなかったら自分の人生はもっと暗いものになっていた」「貧困に向かってたたかっている運動があることを知ることができてよかった。世界一高い日本の学費を下げる活動をしたい」という発言もありました。

こうした話し合いの中で、東日本大震災被災地へ支援に行ってきた介護士を招いて現地の実情を聞く「震災ボランティア報告会」を二十一日に行い、翌二十二日には“連続学問講座”の第一弾として神戸大学文学部名誉教授の岩崎先生に「苦難の時代にどう生きるか」というテーマで学習会を開催することを決めました。

(党県委員会青年学生部・上園隆)

(2011年4月24日付「兵庫民報」掲載)

不屈の人々―治安維持法による弾圧犠牲者(II-2)

学生運動

真理探求と学問の自由求め

同時期、学生運動も発展した。学問研究の自由、学費値上げ反対などを掲げた学校スト・紛争は、一九二九年百十七件、三〇年二百二十三件、三一年三百九十五件と飛躍的に広がった。

姫路高等学校では二七年十二月、警官が無断で学内に侵入し、反戦運動での退学処分反対運動中の学生を検挙したのに対し、学生大会で決議、抗議の一週間全校ストを実行した。

他に関西学院、官立神戸高等商業学校(神戸高商=神戸大学の前身)、県立神戸商業学校(県商=兵庫県立大学にもつながる)などで社会科学研究会(百名)が活動した。反帝同盟、救援会学校班、戦旗読書会の運動も広がる。

科学的社会主義が知識人を文字通り席巻した。「諸科学のマルクス主義的研究発表」を目的にプロレタリア科学研究所が二九年に創立された。

また、プロレタリア教育の確立を目的に新興教育研究所が三〇年八月に創立され、三二年、新興教育兵庫支部が神戸市立御蔵小学校を拠点に結成された。

旧制甲南高校生のたたかい

平生釟三郎、伊藤忠兵衛らが関西財界子弟のため二三年に設立した甲南高等学校で、大正海上火災社長の子息・飯沼修(後の俳優座永井智雄)、中島祐吉(戦後日本共産党参議院兵庫選挙区候補)らがプロレタリア科学同盟神戸支部学校班を結成。学生新聞『白亜城』を発行し、反戦の世論を広げ、共産青年同盟員を獲得していった。

彼らを活動に誘ったのは川上源一(戦後ヤマハ会長)。源一の父は浜松の大争議を鎮圧した側の日本楽器社長である。永井智雄は、関集三(東洋紡社長子息、後に大阪大学教授)、山口省太郎(山口銀行頭取子息、後に東大原子核研究所教授)、徳末知夫(戦後帝人社長)など、山岳部を軸に同盟員、読者、学習会参加者を広げ、共青神戸市委員長として全市的にも活動した。

斎藤実内閣の文相鳩山一郎による相次ぐ弾圧事件―「司法官赤化事件」「長野県赤化教員事件」「京大滝川事件」―に対して甲南高校、神戸高商共青班が、社研、プロ科班とともに抗議行動を行った。

坂田昌一も学ぶ

甲南の学習会の講師には、第一回卒業生の京大院生加古祐二郎があたり、加古と同期の加藤正が日本初訳したエンゲルス『自然弁証法』や『資本論』を学んだ。

後に物理学者として益川敏英らを指導した坂田昌一は、甲南時代、加藤に教えられたエンゲルスの自然観に励まされ、「“物質の究極”と考える立場と対決し“物質の階層”という立場に立つ複合模型の研究に取り組んでいるのは、エンゲルスの言葉に励まされているからであります」と語っている。

三四年二月には甲南高校でも九名が検挙され共青班もつぶされた。

(治安維持法国賠同盟兵庫県本部幹事 田中隆夫

(2011年4月24日付「兵庫民報」掲載)

観感楽学

死亡一万三千七百五人、行方不明一万四千百七十五人。大震災から一カ月あまりの数字である▼「未曽有の大震災」と言われた阪神・淡路大震災で一カ月半後、死亡五千四百四十五人、行方不明二人だったことと比べても今回はなんと言えばよいのか…。一日も早く行方不明の方々が身内の方のもとへ戻れることを願うばかり▼同時に、日がたつにつれ災害弱者である障害を持つ方々への救援活動は遅れに遅れていることが表面化してきている▼障害者の生活と権利を守る全国連絡協議会からは、全国の障害者・関係者団体が力を合わせ「知的障害」「発達障害」「心の健康」「目・耳の不自由な方」など障害の違いによって対応の異なる人への支援のため現地対策本部を立ち上げつつあるとの報告▼救援に入った方から「気仙沼市役所の社会福祉事務所は一階で流され、プレハブの窓に﹁社会福祉事務所﹂と紙を張って、ようやく業務を再開。市人口の八割近くが従事していた水産業へのダメージは解雇という深刻な問題を生じ、障害のある人や支援事業所へ与える懸念も大きい」との知らせ▼一刻も早い支援とともに、今後長期にわたる支援も求められている。 (N)

(2011年4月24日付「兵庫民報」掲載)