日本共産党兵庫県委員会 浜本信義
私は、中央委員会が呼びかけた、「被災地の党組織に対して、自治体ごとに分担して、救援・復興のための全国的な救援ボランティア」の派遣にあたって、土台を支える活動として五月十六日から、福島県のいわき市の地で活動をしているまっただなかです。
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土台ばかりが残る津波の傷跡 |
党いわき・双葉地区委員会は、原発事故を起こした東京電力福島第一原子力発電所のある大熊町を始め、七十キロ圏内にすっぽり入る九市町村をかかえています。
今でも余震が一日に五回、六回とあり、寝ていても飛び起きるほどですが、現地へ来てのほんとうの驚きは、ニュースで見る以上にケタ外れの津波の被害の大きさと原発事故による放射線量のことです。
津波は、堤防を打ち砕き海岸から五キロ、十キロ内陸まで何もない更地が続くという壊滅的な光景をつくるほどの破壊力です。
また、テレビやラジオのニュースの中で放射線測量値と風向き報道が天気予報と同じように流れ、住宅の窓が閉め切られ、洗濯物は外では見ないことや公園で子どもたちの笑い声もなく、外出を極力ひかえて人通りも少ないなど、当たり前だった日常生活の光景がなくなっています。
地震と津波のうえに、原発事故が市民の中に重くのしかかっています。
生活相談やボランティアへの要望強まる
こういう中でも、住民は復興に向かって動き出し、生活相談やボランティアの要望も強まっています。
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がれき撤去に取り組むボランティア |
滋賀県のボランティア八人が、「取り壊し希望」と張り紙した家が目立つ四倉地域で、取り壊さず生活再建をめざしているお宅の津波に洗われた敷地内の海砂撤去と家の中の清掃作業や、呉服屋の蔵からの商品運びだしや町内の側溝の泥あげも行いました。
「たった一人で片づけると気が滅入ります。こうやって共産党のみなさんが来てくれて、生きていく気力が生まれます」「ここで住めるようになった」「他の党はまねができませんね」と口々に感謝の言葉が返ってきます。
小名浜地域では、先日、同地区で初めての訪問活動が、神戸市議団のボランティアによって行われました。「はじめて胸の内を聞いてくれた。どこに相談していいかわからなった」「ありがたい。いままで誰も来てくれなかった。初めて訪問してきてくれて、話をよく聞いてくれたのは共産党の人だけです」「子育て世代は子どものことが心配でたまらない。小学校の運動会は二時間だけにした」「夏以降になると風向きが変わるので放射線が怖い」「この辺の地域は一カ月水道が止まったまま、高齢者の所は水くみが大変やった」「親子でアワビ取の漁師で生活をしていたが、全然仕事が出来ない。息子はアルバイトに行っている」とせきを切ったように訴えがありました。
「困っている人を助ける」という「立党の精神」を発揮しながら、瓦礫や土砂の撤去、避難所での炊き出し、生活相談、地域訪問活動など、ボランティアの取り組みが引続き求められます。支援物資も、夏物の下着類やシーツ、タオルケットなどが求められています。
原発事故では風評被害も加わり甚大な被害に
原発事故によって双葉郡内のすべての住民は県内各地や県外で避難生活が強いられています。非難区域外でも漁業がまったく出来ず、汚染を心配しながらの農作業となり、製造業でも放射能検査をしないと出荷できず、観光業も客がまったく来ないなど、風評被害も広がり、被害は甚大です。
また、子どもを持つ親からも「子どもには放射能被害を少なくさせたい。計測器配置の増設、校庭の表面の土を除去してほしい」「学校給食では当面地元食材を使わないでほしい」「小さい子どもが外で遊べないでいる。子どもたちのストレスがたまって、メンタルのことが心配」と声が寄せられ、事故の収束の展望が見えてこない中、「いつ帰ることができるのか」「これからの生活はどうなるのか」など、まったく生活の展望がない不安を持ちながらの暮らしとなっています。
「商売もできない。三十キロ圏内と外では補償に違いがある。不満だ」「原発問題で東電は正確な情報を出さない。小さい頃に広島の原爆資料館を見たことがあり、原発建設が始まった時には、危険が伴うものだと強く思っていたが、本当に恐ろしい事態になった」「原発問題は早く終息させないと根本的には解決しない。政府、東電の発表が遅く、記者会見のテレビを見ていても聞いていても将来の展望がしめされない。どうでもいい気持になる」と怒りを込めて語られています。
復興への展望求め、新しい政治への探求の始まり
「震災前は住みやすい最高の街と誇りを持っていたが、最低の街になった。これからの福島はどうあるべきか、国の展望ある方向を示していくことが大事だ」「共産党の震災問題と原発問題の解決方向に共感します」との声もあります。
日本共産党の「第二次提言」と「原発ゼロ・全面賠償署名」を持って地域に入ればどこでも対話が弾みます。被災者・国民の中に新しい政治の探求が始まっていることを肌身で実感しています。
住民の思いをしっかりと聞き取り、行政に届け、市民に返す取り組みもし、想像を絶する苦難に立ち向かっている現地の日本共産党員・組織のみなさんの、お役に立てるよう、引き続き頑張ります。
(2011年6月12日付「兵庫民報」掲載)