兵庫県内の日本共産党組織は、東日本大震災被災地の救援・復興を長期的にボランティア支援する地域を福島県いわき双葉地区として活動を始めています。その第一陣として現地に入った平野貞雄氏の報告です。
長期的にさまざまな形での支援を:東日本大震災
西宮芦屋地区・平野貞雄
阪神・淡路大震災経験した兵庫から—と期待高く![]() |
いわき市の海岸部(5月18日) |
五月十六日から十八日までの二泊三日で、福島県いわき市での被災地支援ボランティア活動を行ってきました。芦屋・西宮の議員を中心に九名のボランティア隊です。
私たちを受け入れたのは、「福島原発」をかかえる「いわき双葉地区委員会」です。連休までは多くのボランティアが駆けつけたようですが、私たちが行くまでの一週間は少し中断があったようで、阪神・淡路大震災のあった兵庫から来るということで、あらためて受け入れ体制を整え、地元のボランティア参加も呼びかけて、私たちを迎えてくれました。
ボランティアの活動拠点になっていたのは、延期になった県会議員選挙に立候補を予定していた長谷部あつし元県会議員の事務所で、いまは党の「復興共同センター」となっています。私を含む三人は他県からのボランティアとともにここで宿泊しました。
津波の爪あとに言葉失う
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がれきの撤去(5月17日、いわき市内) |
センターからマイクロバスに乗って二十分ほどで、海岸沿いにあるボランティアの作業現場につくのですが、その間にある山々には葡萄の房のような藤の花が、今が盛りと咲いていました。農地では田植えなどの作業姿もありました。
ところが、海岸部に出ると様相が一変。津波の荒れ狂った爪あとが――倒壊してがれきとなった家屋、鉄筋むきだしの電柱、壊れた防潮堤、ひっくり返った車などとなって――私たちの目に飛び込んできました。それはまさに映画のセットかと錯覚するような非日常の世界でした。
作業は、床下の泥の排出、がれきの撤去、住宅周辺の土砂の搬出、家屋内の清掃、溝のがれき撤去などです。
「共産党のみなさん、お世話になりました。ここでがんばっていこうという勇気が出てきました」―作業を終えて帰る私たちにかけられたこの言葉に、ボランティアに参加した意味をかみしめました。
地元ボランティアにも元気を届けられた
三月十一日の大地震発生で、脳裏によみがえったのは十六年前の阪神・淡路大震災です。それはがれきと化した町の情景であるとともに、近隣はもとより全国各地からの支援、わけてもボランティアでかけつけてくれた多くの人たちの姿でした。そして「自分も行かなければ…」との思いに駆られながら、直後に選挙戦を控えて、行くに行けないもどかしさの中でのこの二カ月でした。
わずか二泊三日で何ができるのか、必要経費をカンパするほうがよほど役に立つのではないか…そんなためらいがよぎりながらも、それでもやはり行かないわけにはいかない、そんな思いに駆り立てたのは、十六年前の体験があったからです。
短期間の参加でしたが、支援に入ったお宅の方だけでなく、地元のボランティアの人たちにも元気を届けることができたのではないかと思います。被災地にはまだまだ多くの課題が山積しており、息の長い支援が必要です。直接のボランティア参加だけでなく、可能な様々な形での支援を続けていかなければと思います。
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西宮市と芦屋市の議員を中心としたボランティア隊: (前列右から)平野貞雄、上田さち子、(後列右から)まつお正秀、 杉山たかのり、佐藤みち子、野口あけみ、田中恵美子、大森奈美、 木野下あきら——の各氏(左後ろは群馬県からの人) |
(2011年5月29日付「兵庫民報」掲載)